今週のゲノムTV

2008年10月27日

【今週の注目】
昭和61年6月12日にIWGPリーグ戦Bブロックで行われました藤波辰巳vs前田日明。この年は紆余曲折あって、前田さん率いるUWFが新日本に戻ってきました。年頭のシリーズでは猪木さんへの挑戦権を賭けたUWFどうしで同じ相手と2戦するという過酷なリーグ戦を強いられ、代表者決定戦で前田さんは藤原さんに敗れ猪木さんとの対戦を逃します。

その結果、2・6両国で猪木さんと藤原さんの新日本vsUWFの最強決定戦が行われました。猪木さんは反則スレスレの下腹部への蹴りからスリーパーで藤原さんを締め落とし劇的勝利を飾ります。しかし、試合終了直後、怒った前田さんは猪木さんの咽元に左のハイキック一閃。新日本、UWF両軍が入り乱れての大乱闘。前田さんは「猪木なら何をやってもいいのか」と名言を吐きます。これで時期シリーズへの軍団抗争へと流れていきます。
081027
【腕ひしぎ逆ブログ】さん 猪木なら何をやっても…いいんです。より

そして3・26最終戦のカードで発表されたのは因縁を作った猪木さんと前田さんのシングル戦。しかし数日後、猪木さんは、このカードに「UWFとは代表の藤原と決着をつけた」と突然クレームをつけます。謎の対戦拒否、裏では何があったのか?この試合が決まった直後、前田さんのマネージャーのように付き添っていた田中さんという方が「前田は殺る。猪木の腕を折る」と周囲に吹聴してたといいます。「煽ってるだけだろう」と猪木さんをはじめ新日関係者は捉えてましたが、それを聞きつけたテレ朝幹部が確認したところ「どうやら本気らしい」ということで試合の変更を要求します。しかし自らをプロデュースして造り上げてきた猪木さんとしては当然のように「逃げたと思われるからできない。そうなったらなっただ」とカードの変更を却下します。看板番組を潰されかねないと考えるテレ朝は執拗に変更を要します。結局、猪木さんも折れ、最終戦のカードは新日本vsUWF5対5エリミネーションマッチの全面対抗戦に変更されました。

後に新日本、UWFと関係の深い新間さんはこの件で猪木さんから相談を受けたことを証言し「社長、未来ある前田を潰す気ですか?前田はあなたの恐ろしさを知らない。あなたは殺るとなったら、何のためらいもなく殺るでしょ。プロレスは殺し合いではない。絶対やるべきではないですよ」とアドバイスしたという。猪木さんも「俺はどうなろうとプロレスを守っていく。挑戦してくるのは構わないが、結果として起きた事のリスクが背負えるのか?」と苦言を呈しました。

この件を機に新日本、テレ朝幹部はUWFというより前田さん個人に圧力をかけはじめ、4月シリーズには、あのアンドレ戦へと繫がっていきます。そのシリーズ最終戦で新日本とUWF5対5勝ち抜き戦が行われ、大将に藤波さんと前田さん。猪木さんは参加しませんでした。結果は副将の藤原戦で大流血した藤波さんが2試合連続を強いられ前田さんと初のシングル戦に。最後はレフェリーに止められ、不本意ながらも前田さんの勝利となります。

次のシリーズは毎年恒例の大イベントIWGPシリーズに突入しA・B両リーグに分かれた物の猪木さんと対戦する可能性が出てきました。そのBリーグにエントリーされた藤波さんと前田さんのIWGPリーグ公式戦が今週放送されます。

この試合は歴史に残るような壮絶な試合となりました。思えば前田さんにとって、この年ほど嫌な出来事はなかったかもしれません。そんな中でこの試合後に前田さんが語った「寄港する先がなかったUWFが、ある島にやっとたどり着き、無人島だと思ったら仲間がいた」という、その言葉のとおり、昭和61年度・東スポプロレス大賞の年間最高試合に選ばれたのでした。→最新情報/人気プロレスランキング

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10月28日(火)
23:00〜FIGHTING TV サムライ
    「新日本プロレス黄金史19XX#14=1986」
    ・昭和61年6月12日 大阪城ホール
     IWGPリーグ戦:藤波辰巳×前田日明

    ・昭和61年6月17日 愛知県体育館
         IWGPリーグ戦:アントニオ猪木×アンドレ・ザ・ジャイアント
    ・昭和61年9月16日 大阪城ホール
     特別試合:アントニオ猪木×ブルーザー・ブロディ
    ・昭和61年10月13日 後楽園ホール
     特別試合:藤波辰巳×武藤敬司

過去のIGFの試合はジュースト内で無料で視聴できます。
視聴方法はIGFチャンネル登録までの流れダァー!を参照してください。
ちなみにJ:COMオンデマンドでも期間限定で有料配信されています。

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2008年10月21日

【今週の注目】
昭和53年2月2日北海道・札幌中島スポーツセンターで行われたアントニオ猪木vsジェリー・ブラウン。このブラウンはミネソタ州出身、当時38歳。昭和46年に国際プロレスに初来日。バディ・ロバーツとのコンビでアメリカス・タッグ王者チームとしてストロング小林、アニマル浜口組の挑戦を退けたこともあります。

後に、この二人はハリウッド・ブロンドスを名乗りサンフランシスコやロスの北米地区で大暴れ。トップチームとして活躍します。昭和50年の8月にはロスのオリンピック・オーデトリアムで猪木さんと坂口さんが保持していたNWA認定北米タッグ王座に挑戦。徹底した得意の反則、ラフ・ファイトで王者チームを追い込み、猪木さんを負傷させて無効試合。王者チームはタイトルを没収されます。その因縁を引っさげて新日本プロレスに乗り込んできました。同年9月22日に名古屋・愛知県体育館では猪木、坂口組との再戦、王座決定戦で破り、なんと北米タッグの王座を奪取。10月2日の大阪で奪回されるもタッグチームとしてのインパクト、歴史に名を残しました。

この試合はそれから2年半後の試合でメインの坂口、小林組vsシン、上田組のセミファイナルとして行われました。タッグではなくブラウン1人のシングル戦となります。タッグ専門のブラウン相手に猪木さんがどう闘うのかが見所となります。→最新情報・ランキングへ

10月21日(火)
14:30〜スカイA
     「ワールドプロレスリング 不滅の闘魂伝説#18」
     ・昭和52年12月8日 蔵前国技館
      アントニオ猪木×グレート・アントニオ
     ・昭和53年2月2日 札幌中島スポーツセンター
      ア
ントニオ猪木×ジェリー・ブラウン
     ・昭和54年4月5日 東京体育館
      WWWFJr.ヘビー級選手権:藤波辰巳×ペーロ・アグアイヨ

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2008年10月14日

【今週の注目】
昭和52年12月8日東京・蔵前国技館で行われた、アントニオ猪木vsグレート・アントニオの試合が放送されます。

アントニオは昭和36年の『第3回ワールドリーグ戦』に“密林男”という触れ込みでカナダ代表として初来日。来日直後の明治神宮外苑では1万人を集め大型バス5台を引っ張り、新聞、TVを通じて脅威の怪力ぶりを見せました。マネージャーのグレート東郷に鎖を繋がれたアントニオが奇声を上げて吼え、観客に恐怖を与えた様はまさに怪物。当時、怪物レスラーを初めて見る日本人は、本当の恐怖のあまり、各会場のリングサイドのチケットだけが売れ残るという珍事も発生。しかし、その怪物ぶりは大ブームをおこし、奈良の試合では3万5千人という大観衆を集めて一躍、時の人となりました。

アントニオは非常におとなしい青年でしたが、あまりに日本で人気が爆発してしまったことに「全て自分の力だ」と勘違いしてしまい、わがままのし放題。実際は怪物として売り出そうとしたのは東郷の案で、バスを引っ張らせたのは力道山の案でした。いうならばアントニオをプロデュースしたのは力道山と東郷になります。

そんな、アントニオですから猪木さんら若手選手、他の外人選手からも非常に評判が悪かったのです。ある会場で来日していたゴッチさん、ミスターXと問題を起こし袋叩きに合いましたが、それでもアントニオは人気にのぼせてしまい、ついには力道山も堪忍袋が切れ、強制帰国させられます。帰国後死亡したとかいろいろ噂が立てられました。

ところが16年後アントニオは突然、猪木さんに挑戦を表明して日本にやってきたのです。当時カナダに住んでいたアントニオは猪木、アリ戦の話題を聞きつけ、日本のプロレス関係者に「猪木と賞金マッチがしたい」と提案してきました。
アントニオはここでも勘違いをしてしまいました。「猪木なら簡単に倒せる」。つまりアントニオの中では16年前に軽くひねり潰した猪木さんの姿しかなかったのです。当時を振り返って猪木さんは「力道山がアントニオと戦った時にセコンドで見ていて、最初は何てすげぇ奴だと思ってたけど、実際やったら案外もろかった」と答えてます。

猪木さんとしては、新日本流で、またブームを起こせるかもしれないとの期待を持って受け入れたはずです。しかし、いざ来日するとアントニオは16年前と何も変わっていませんでした。リング上では全く動かず立っているだけ。控え室でも「今日の客はお前たちを見にきたんじゃない。俺を見にきたんだ。感謝しろ」と周りを見下すような傲慢な態度をとり、外人レスラーからも嫌われてました。来日してたアンドレもついにアントニオを控え室で殴りつけますが、やはり態度を改めることはしませんでした。

そして、この蔵前の1週間前に広島で猪木さんはアントニオとシングルで当たります。その時もアントニオはまともに試合をしようとはぜず、どんな相手でも試合を成立させてきた猪木さんもさすがにイラつき、最後はレフリーを突き飛ばして反則負けになります。その試合後、猪木さんにはある決意がありました。「蔵前でアントニオを3分で制裁する」と宣言します。

この試合は俗にいう名勝負と言われるような良い試合ではありません。背筋が凍るような惨劇が行われます。ただ、その中でも猪木さんの「プロレスは突っ立ってるだけの見せ物ではない。闘いなんだ」という怒りのメッセージをアントニオに、そして初めて観客に伝えようとした試合でもあったのです。→最新情報/人気プロレスランキング

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10月14日(火)
14:30〜スカイA
     「ワールドプロレスリング 不滅の闘魂伝説#18」
     ・昭和52年12月8日 蔵前国技館
      
アントニオ猪木×グレート・アントニオ
     ・昭和53年2月2日 札幌中島スポーツセンター
      アントニオ猪木×ジェリー・ブラウン
     ・昭和54年4月5日 東京体育館
      WWWFJr.ヘビー級選手権:藤波辰巳×ペーロ・アグアイヨ

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2008年10月07日

【今週の注目】
今週は昭和52年10月25日、日本武道館にて行われた格闘技世界一決定戦:アントニオ猪木×チャック・ウェップナーです。

相手のウェップナーの経歴は1942年アメリカ・ニュージャージー州ベイオンヌ出身のポーランド系アメリカ人で当時35歳でした。ニューヨークのスラム街で育ち、少年時代から手のつけられぬ不良、ギャングの仲間に入ってました。11歳の時には傷害事件を起こし鑑別所入り、20歳の時にも刑務所に入る事件を起こしました。強盗、強姦、窃盗、喧嘩等何でもやり、刑務所を行き来するなかでボクシングに出会い、出所後の1964年にプロデビュー。デビュー戦はジョージ・クーパーを3回KO勝ち。その後はたちまち世界ランカーまでのし上がります。当時の通算成績は44戦32勝7敗5分けでした。

中でも一番注目された試合は2年前の1975年オハイオ州クリーブランドで行われたモハメッド・アリへの世界タイトル挑戦。結果は最終ラウンド2分41秒KO負けを喫するも、9ラウンドにはアリの左のジャブに合わせたクロスカウンターでダウンを奪い名を馳せました。

そのアリは1年後、1976年6月26日に日本で猪木さんとの格闘技世界一決定戦を行い世界中の注目を浴びましたが、同日アメリカ、ニューヨークのシェアスタジアムで行われた、その猪木アリ戦のセミファイナルで、ウェップナーはあのアンドレ・ザ・ジャイアントと対決。アンドレのリーチの長さとパワーに苦しむも果敢に攻撃を繰り出しアンドレをのけぞらす場面も作りました。最後は3ラウンド、アンドレの猛攻を受け、ロープに足が絡まり、そのままリングアウト負け。試合後も「負けてない!」とアンドレに向かっていく気性の激しさを見せました。
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翌年に猪木、アリ戦の再戦が決定し、モンスターマンに続く、最後の刺客として送り込まれたのが、このウェップナーです。少年時代の悪行を反省し、全財産を慈善事業に寄付し注目を浴びる等、シルベスター・スタローン主演の“ロッキー”のモデルとしても有名です。

この試合ではウェップナーの得意の右フックが猪木さんのアゴをまともに直撃しグラつくシーンがあります。反則の後頭部へのラビットパンチを何発も食らい追い込まれますが、猪木さんも反撃のパンチを繰り出し、アリ戦の秘密兵器、ラウンド・ハウス・ミステリー・キック。今で言う延髄斬りを初披露し応戦します。そして猪木さんはプロレスラーで初めてオープンフィンガーグローブを使用したのも、この試合となります。

9月23日(火)
14:30〜スカイA
     「ワールドプロレスリング 不滅の闘魂伝説#17」
     ・昭和52年10月25日 日本武道館
      格闘技世界一決定戦:
アントニオ猪木×チャック・ウェップナー
     ・昭和53年1月13日 岡山武道館
      アントニオ猪木、長州力×タイガー・ジェット・シン、上田馬之助
     ・昭和53年5月30日 大阪府立体育会館
      MSGシリース決勝戦:アントニオ猪木×アンドレ・ザ・ジャイアント

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2008年09月29日

【今週の注目】
昭和60年6月13日 愛知県体育館で行われた '85IWGPヘビー級選手権:アントニオ猪木×ハルク・ホーガン。このシリーズは“IWGP&WWFチャンピオンシリーズ”とういことでWWFのスター選手が大挙参戦するはずですが実際参加したWWFの専属選手は前半にペドロ・モラレスと終盤にホーガンの特別参加のみ。当時の新日本とWWFの冷めた関係を物語っています。案の定、同年10月31日付けで新日本とWWFの提携関係は終了。長年親しまれたWWFジュニア、WWFインター、WWFインタータッグ等全てのタイトルは返上し、ホーガンもこのシリーズの参加を最後に以後5年間、日本で試合をすることはありませんでした。

このシリーズでは前年度優勝の猪木さんはシード扱いにされIWGP優勝戦進出決定トーナーメントが行われました。優勝戦に勝ちあがって来たのはトーナメント決勝で藤波さんを破ったアンドレ。6月11日、東京体育館で猪木、アンドレのIWGP優勝戦が行われ、その勝者がホーガンの挑戦を受ける事になりました。結果は大苦戦の末、猪木さんがアンドレを破り優勝。

衝撃の昭和58年、大暴動の昭和59年と新日本、IWGPの歴史に残る試合を展開してきた猪木、ホーガン戦もこれが最後となる貴重な試合になります。

10月4日(土)
10:00〜FIGHTING TV サムライ
    「新日本プロレス黄金史19XX#13=1985」
    ・昭和60年4月18日 両国国技館
     特別試合:アントニオ猪木×ブルーザー・ブロディ
    ・昭和60年6月13日 愛知県体育館
         '85IWGPヘビー級選手権:アントニオ猪木×ハルク・ホーガン


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